子育て論【追記あり】
たくさんのおうちに、1日家族をさせてもらった。
ほとんどが親の世代かそれ以上の世代で、
どこの家でも、子ども達と接するないし、子どもの話が出る。
「完璧な子に育てるより、完璧な子ども時代を過ごさせたい」
(とことんのびのびと子どもらしく遊ばせたい、という意味だそう)
地域の顔と言えるほど、地域のおじちゃんになっている方の家。
地域の子どもは大抵彼のことを知っていて、
彼も毎朝欠かさず道路に立って挨拶するのが日課。雨の日も、風の日も。
そんな彼の書いた言葉が壁に貼ってあった。
そしてその「完璧」という字が間違っていて、それがまたよかった。
「子どもは放置した方が成長する。
手間ひまかけたらあかん。雑草と一緒。」
手間ひまかけたらあかん。雑草と一緒。」
地域の寺子屋になっている、エネルギッシュな、
それでいてお坊さんのようなおばあちゃん。
今も現役のダンスの先生で、衣装づくりから振り付け、指導まですべてやる。
新入社員の世代もよくここに駆け込んでは元気をもらうそうだ。
私が元気をもらいたいくらいなのにね!、
彼女はつやつやの肌に皺をいっぱい寄せて、笑って言った。
「いつもね、外のこと、ほとんど家で話さなかったのよ。
でも男の子だから仕方なかったのよね。
でも男の子だから仕方なかったのよね。
中学の時、お父さんが死んで、
息子達はグレると思ったけど、ならなかった。」
息子達はグレると思ったけど、ならなかった。」
彼らは今は教師と警察官。そんな息子を持つお母さんであり、
最近おばあちゃんにもなった彼女は、
優しい瞳をしてずっと彼らの話を愛おしそうにしていた。
優しい瞳をしてずっと彼らの話を愛おしそうにしていた。
「これを使うって決めたのは私だから、お姉ちゃんは悪くないんだよ。」
自己責任、の意味をしっかりとわかっている、
5歳の女の子がいるおうちがあった。
5歳の女の子がいるおうちがあった。
自分で選ぶ、選んだことの結果は自分ゴト。
だから自分で人生を決めるし人生の舵は自分でとる。
だから自分で人生を決めるし人生の舵は自分でとる。
そんな家族の両親は、震災以降東京から九州に引っ越すことを決め、
お父さんの仕事も格闘家から、
趣味だった文字書きを仕事にすることに決めて、今は職人になった。
趣味だった文字書きを仕事にすることに決めて、今は職人になった。
家もライフスタイルに合うように改造して、最高の空間を創り上げていた。
そんな彼らは、また新たな選択をし、もうすぐ阿蘇へ引っ越す。
ヒデアキと、子育ての話をしながら歩いていた。
私は完璧をまだ追い求めてしまう、自分に。
自分がもっとこうであったら。
もっと人を許せて、もっと余裕があって、
もっと本質を見極められて。
もっと本質を見極められて。
もっといい環境に引っ越して、
もっとカラダにいいものをとって、もっと・・・。
もっとカラダにいいものをとって、もっと・・・。
「じゃあ、親免許とかとらない限り、いつまで経ってもなれないじゃん」
そう、いつまで経ってもなれないのだ。
夢ややりたいことに関してはわりかしこのマインドブロックは外れていたのに、
やっぱり自分にとって大きな”親”というものに関しては、根強かった。
親の資格も在り方も育て方も、十人十色。
それを私は見てきたんじゃなかったか。
だれひとり、神様のように完璧な人はいなかったけれど、
だからこそ素敵だったし、
だからこそ素敵だったし、
だからこそ子どもが育っていたんじゃなかったか。
ヒデアキからの本質をついた言葉に、
続きが見当たらなくなって、下をしばらく向いていた。
それでも私には、私という存在に対してまだ、自信がない。
この旅で行き着く感情。
そしてその感情を抱いたときに必ず現れるのは、
出逢いという別の人間という存在。
出逢いという別の人間という存在。
歩いているだけ、
突き詰めればただ、生きているだけの私たちに、
なんでここまで?という程に、喜んでくれる人達がいる。
未だに、なんでここまで喜んでくれるんだろう?と思うし、
そういった喜び方をする人達に出会う。
この旅の本質は、
ヒデアキの投げた言葉とともに、
きっとそこに、あるんだろう。
ヒデアキの投げた言葉とともに、
きっとそこに、あるんだろう。
【追記】
FBへのコメントが愛あるものばかりで、嬉しかった。
その一部を、メモリーとして。
自分の完璧でないところを赦せるひとが、
子どもの個性をそのまま愛せるお母さんだと私は思いますよ
子どもの個性をそのまま愛せるお母さんだと私は思いますよ
母親の影響、刷り込まれてきた自分が見え始めればゴールは近い。
僕も30数年かかったけど。
僕も30数年かかったけど。
表面的なマインドブロックを外科的に無理やり外しても、
根源までは治らない。根源を治すのは地道で内的な自分自身でもあるから。
根源までは治らない。根源を治すのは地道で内的な自分自身でもあるから。
beingとdoing
この二つがもたらす自信を、この旅で得られるといいね(^-^)
親になったトキに
かんがえたらいいとおもうよ☆
それだけむきあっているなら
親になったトキ!!
(必要なとき)に
ちゃんとリアルに
向き合えると
おもう...○
子育てもすべて
イマとつながり
イマを生きることが
最善の歩み方だとかんじています。
なので
なかなか経験できない
イマ、いまを
楽しんで
命を輝かせてくださいね。
目の前の
じぶんの子との時間は
しあわせですよ〜
あと、リアル。
あれこれ人の世は
大変だけど
イマを生きていると
あした、なにかあっても
後悔しないように過ごせます、笑
いまここ○すべて
たのしみましょ〜💕
完璧とは
すべてあってカンペキ
だとおもうんです。
onelove.oneearth
わたしたちは
その美しい輪のなかの一部
心地よくイノチを巡らせましょ〜う🌎
親免許とは(笑)
この世にあったとしたらわたしは一生かけて家事に没頭しても
子どもとずーっと一緒におってもとれそうにない気がする…( ;∀;)
子どもとずーっと一緒におってもとれそうにない気がする…( ;∀;)
そうだ、
年齢的には大人とはいえまだまだ子どもとしての自分と向き合って生きてみよう。。。
みのりさん、旅のお裾分けありがとう
自分が親になる前を思い出した。
酒呑みでボロボロでしたww
奈良で会えるの愉しみにしてます☻
自分が親になる前を思い出した。
酒呑みでボロボロでしたww
奈良で会えるの愉しみにしてます☻
大丈夫♪
子どもが親に育ててくれます。
子供産んでからゆっくり考えたらいいよ。
今思ってる事と違う事の方が多いよ〜
子供と一緒に成長して
親の有り難みと感謝が出てくるよ☆
ホント、子供が親に育ててくれます。。
最初から親な人はいないから^_^。
無理になろうとすると、親でしかなくなって、
人として個として子供と向き合えなくなる気がします。
人として個として子供と向き合えなくなる気がします。
大丈夫です^_^。
みのりさん、何度もコメント失礼します〜
車乗っててハッと思いついてコメントせずにいれなかったww
車の免許も教習所によって教え方も違えば仕上がり具合も違うし、
トントン拍子に来ても卒検で何度も落ちる人も居ますよね。
トントン拍子に来ても卒検で何度も落ちる人も居ますよね。
子どもは親を選んでくるって言うし、親免許は子どもがくれる、
子どもができた時が親になる資格もらえた時なんだと思います
子どもができた時が親になる資格もらえた時なんだと思います
望んでも出来ないこともある。
子どもが欲しいという気持ちがあれば、
あとは全てを委ねるだけなんだと思いましたヾ(・∀・。)ノ
子どもが欲しいという気持ちがあれば、
あとは全てを委ねるだけなんだと思いましたヾ(・∀・。)ノ
リアルな親世代からほとんどいただけたのが嬉しかった。
世代が上の友達が多いっていうのは
やっぱりすごく、ありがたい。
今日も、歩こう。
みのり