いい兆候
旅のはじまりの前に。。
4.1に旅が再スタートになるがその前に広島の福山で用事があったため二人で福山を訪れた。
そこでお世話になっている方のところで、昨夜クリスタルボウルの演奏を聴きながら心地よく眠った。その心地良さは何とも表現しずらい心地よさで、『半端なく気持ちよかった』←表現が浅い。笑笑
すると翌朝は身体が軽くこの体調の良さは久しぶりに思えた。
整っていない岩肌が自然体でそこにあり、それが心地よかった。そして、それは人間も一緒で妙に体よく整っている人間より、曲がったり、尖ったりしている人間の方が心地いい。
みのりが、福山でイベントをしている間、暇になったので、吸い寄せられるように、『鞆の浦』に向かった。
この何故だかわからない衝動というのを僕はかなりあてになると思っているし、あてにしている。
都会に比べなんだか時間がゆっくり流れているんじゃないかという気分にさせる。
仙人も美しさに酔ってしまうほどの島ということで、仙酔島。
結論からいうとその島は最高で、人間も自然の一部であることを再確認させてくれる。
整っていない岩肌が自然体でそこにあり、それが心地よかった。そして、それは人間も一緒で妙に体よく整っている人間より、曲がったり、尖ったりしている人間の方が心地いい。
カヤノ自身は自然の美しさに酔うと同時に、自然の美しいさに酔っている自分に酔った。
福山市のうたい文句に、「何もないとは言わせない」というのがあるが、
何もない方がかえっていいのではないかと思った。
美しい自然があればそれで十分。
〝なにもないけど在る〟という感覚が大事なのではないかと思う。
人間も同じで、人より能力をつけよう、資格を取って差を付けようなど人に何か特別なものを身につけようとするのではなく、ただ在るだけでもいい。
クリスタルボウルや、自然の美しさに触れとてもクリアな自分になることができた。
いい兆候だ。
仙酔島にいた老夫婦がいい感じだった。