敵を作らない革命
革命はいつも自分の内側から始まる。
外から外から一生懸命に平和を作ろうとするが、自分の心の内が平和でない人が多い。一番世界平和に貢献してるのはこういう事だと思う。
敵を倒す(自分の正しさを通す)革命はもう古い。
江戸時代の頃、攘夷を掲げて、自分達の思想に相容れない人達を殺していった。これは昔のやり方に思うかもしれないが、今も大して変わりない。
つい先日、安倍総理のNOを表すために、国会議事堂に1万4000人が集まりデモが行われた。いい大人がよってたかって一人の人間を潰す。それを堂々とやる。これが子どものいじめがなくなら一番の理由だ。
正義の反対は悪ではなく、それまた正義で正義と正義のぶつかり合いをしているだけ。
婚前道中膝栗毛は歩いて日本を縦断しているわけだが、ルートは実は原発を通るルートを設定している。
原発はないにこした事はないだろう。しかしそれにはいろんな問題もあるし、それぞれの立ち位置もある。簡単には終わらないものだと思う。
推進派、反対派で闘うのではなく、大事なのは、どんな世の中で生活したいのか。二元論で議論するのではなく、在りたい姿を創造することの方がよっぽど大事。
否定からは何も変わらない。
想像そして、創造から変わっていく。
Noは何も生まない、Yesを誰かに期待するのではなく、Yesを自ら創造する。
婚前道中では歩きながら原発を周っている。周っているのは原発に対して、NOをいうのではなく、今までの感謝と祈りを届けるためだ。ちょっと想像してみて欲しい。もし原発が人間だったとしたら。今まではちやほやされていたのに、一度失敗をしたらよってたかって急に手のひらを返したように攻撃される。もし自分がその立場だったらどうだろう?
人間不信になり引きこもりになるか、グレてヤンキーになる可能性が高いんじゃないだろうか。
ひとりくらいそれに寄り添ってやる人間がいてもいいのではないだろうか。
それで、何かが変わるわけではないだろう。しかし大事なのはそういう姿勢、在り方で生きることである。
それが婚前道中膝栗毛という敵とは戦わない革命であり、自ら体現し生きること、表現することの芸術活動である。
明日ついに出雲大社からスタート。
hideaki