婚前道中膝栗毛

結婚前の男女がリアカーで歩いて日本縦断に挑戦する「ガチンコロマンスドキュメンタリー」笑いあり涙ありの物語。byヒデアキ&みのり

幾度も幾度も重ねた先にできるものがある。歩くのはある種藍染めのようなものかもしれない。

 

出雲市内を桜に見とれつつ歩いていると、藍色の暖簾から声をかけられた。入り口には大きな美しい藍染め。

 

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日本ではもう1つか2つかしかない「筒描き」を行っている藍染め屋、長田染工場。江戸時代から、女性が嫁入りする際は、実家の家紋を描いて染めた風呂敷を嫁ぎ先に持っていくのが習わしだったそうだ。だから家には代々嫁いできてくれた家の家紋が積み重なっていく。素敵だなと感じた。





藍染めをやってみたことはないが、その行程を見てあまりの時間と深さに驚いた。


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───長田染工場:作業工程より

 

 

 

 



時を重ねた分だけ、想いを注いだだけ、出来上がるものはやはり違う。結果だけを表面的に見たら同じかも知れない。私たちの旅で言えば、「鹿児島から北海道へ行くこと」は数時間あればできる。何も1年弱かける必要はない。でもその過程が何より愛おしいし、それこそが人生になる。染め物は、小さなひとつの人生ではないかなと思うのだ。



昨日の記事でヒデアキが、「衝動を選択基準にするのは、結果を求めていないから」と言っていたが、これはとてもむつかしいことだと私は思う。気を抜くといつも目先の結果を追ってしまう。例えば今だって土砂降りになって屋根のあるバス停で雨宿りをしてこうやって記事を書いているわけだが、実際雨は嫌なのだ。でもその雨がなかったら私たちが歩いているこの景色そのものがない訳で。


 

 



 

人生を充実させたいなら、いかに広い視野で長期的に物事を考えられるかではないかと思う。過程を楽しめるのはその視点があるからだ。じゃなきゃ歩くことなんて面倒で仕方がない。

 

ヒデアキに、アートとは何かと問うてみた。

「アートとは、無目的に自分の中にあるものを表現すること。」

結果や目的を追い求めない。それに囚われた瞬間、それはアートではなくデザインになるのだろう。そう考えると入り口で見た藍染めは、その両方を体現していて面白いなと思った。



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みのり


 

P.S.
今欲しいもの。

・つげ櫛
二胡ケースを肩掛けできる紐
・お醤油とごま油
・松江から鳥取までの海沿いで、泊めてもらえるお家

 


勝手にクラウドファウンディング、やってます。

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