【0次産業の可能性】ちゃんとした仕事とは何か?
いのちを生きることこそ尊い仕事ではないか?
「ちゃんとした仕事をしようと思わないのですか?」
ということを問われたのはあるインタビュー。
その瞬間、僕の目は2mm大きくなり、
「逆に、ちゃんとした仕事ってどういうものですか?」と聞き返した。
その人は5秒程考えた後に答えた。
「決められた時間に出勤して、言われた仕事をこなし、お給料をもらうことです。」
もちろんこの問いに正解など存在しない。それが、その人の真実。
だけど僕は、本当にそうかな? と思うし、それではあまりにつまらないとも思う。みんなならどう答えるだろうか? その問いと向き合ってみるだけでも価値があると思う。
僕の思う“ちゃんとした仕事”とは、“いのちを生きること” で、それ以上に尊いと言える仕事があるだろうか? とすら思う。
それは、まだ誰もが仕事だと認めるものではないかもしれないし、お金にならないことかもしれない。でもそれでいいじゃないか。その人がそれにいのちをかけられるもので、そこに喜びがあるのならそれは立派な仕事なのではないのだろうか。
政治家だろうと、社長だろうとティッシュ配りだろうとそこに優劣はない。むしろ、給料は月100万だが、自分の仕事に誇りもないし、嫌々やってるのであれば、時給800円でイキイキと働いているティッシュ配りのアルバイトの人の方が、僕はよっぽど好きだなと思う。
ユーチューバーはちゃんとした仕事なのか?
仕事のあり方だって時代で大きく変わっている。今はパソコン一台で仕事ができたり、個人がメディアをもてる時代になってきているので、昔にはなかった仕事も生まれている。
その中でも面白いものはユーチューバーだなと思う。どうやら稼ぐ人はかなり稼いでいるらしいし、子ども達の将来の夢でユーチューバーと書く子も少なくないという。ユーチューバーはいわゆる一般的にいう仕事ではないかもしれないが、お金を生んでいる
もし社会の『仕事』というものの定義がお金を生むことだとしたらそれはちょっと残念だなと思う。
0次産業の可能性
とは言ってもお金を稼がないと生活できない。(それもホントかな?と思うけど)
僕は0次産業を興したいと企んでいる。聞いたことのない単語だと思う。現状の経済は何か物を売ったり、サービスを提供することで成り立っているが、0次産業とはどのようなものかというと、物も売らない、サービスも提供せずに起きる流通である。
「何だそりゃ?そんなもの存在しない。」という人もいるかと思うが僕は存在していると思っている。それが前半でも述べた『いのちを生きること』で、人の生き様や、生き方はそれだけで価値として十分にあると思うからだ。
例えば、映画は映画館に見に行って、チケットを買って見に行く。『人生』は流しっぱなしの映画館のようなもので、チケットを買わずしてその人の人生を垣間みれる。その人の生き方で影響されたり、感動したりということはあると思う。つまりそこに価値が発生している。
価値を感じたものに対しての、何かしらのペイが起こったとしても何の不思議もないし、逆に価値を感じた人からしたら、ペイしない方がモヤモヤがたまり不自然なのだ。
その根底にあるのが人生こそ最高の芸術だと思うし、だれもが本来は芸術家であるという考えだ。
参考記事
人の数だけ芸術作品が存在するわけで、世界は入場無料の美術館なわけで。その作品に何か心動かされたらその作者にペイするというものすごく単純で自然なシステム。
現に僕はこのシステムの中で生きていて、「婚前道中膝栗毛」や「カヤノヒデアキ」という無料美術館を展開している中で、感動してくれた人や、面白がってくれたりする人がいることによってそれがお金になったり、食糧になったり、宿になったりということが現に起きている。逆に僕自身がこの人の生き方に心動いたというときにはペイしている。
0次産業というのはつまり、『自分を生きる事で成り立つ流通であり経済』。もしお金を生む事を仕事とするなら、いのちを生きることは仕事になり得る。
何よりも、みんながそれを仕事にした時、喜びに溢れている世界になっている気がする。
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▼0次産業の仕掛けのひとつがこれ▼
寄付してくださいというものとはまた違うし、クラウドファウンディングとも違う。残り、47人。
婚前道中膝栗毛
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