婚前道中膝栗毛、ウォーターセブン編。ものづくりとは、人の夢までもつくることができる。
旅を初めて計3ヶ月が近づいている。
リアカーはアルミ製・折りたたみ式・ノーパンクというなかなかハイテクなつくりなのだが、まわりの板や屋根、のぼり周囲は自分たちで作ったので、ガタがきていないと言えば、嘘になる。
鳥取県、鳥取県西伯郡大山町上市、下市駅すぐ。
・・・そこに、リアル“ウォーターセブン”があった。
(ウォーターセブンとは、漫画ONE PIECEで海賊船を修理してもらう町の名前である。最後間違いなく、泣ける。)
リアカーその他のガタの様子は以下。
1 屋根を固定している茶色い部分は軽量化のためにダンボールだったが、台風のときに雨に濡れてしおしおに。
2 のぼりのポールを固定していた部分が外れたため、即席でゴムバンドで結びつけていた。
3 写真では見えないが、背後の白い板がリアカーの溝に下降し、そのため四面の高さが保てず屋根が落ちかけることがしばしば。
4 加重で四面の板が反ってしまうことに気付き、これもさらしで即席固定。だんだんゆるんできてしまう。
5 写真ではわかりづらいが、のぼりは布のため、ほつれやポールに通す部分が破れてきてしまっていた。
6 ヒデアキの存在というガタ。…ではなく、ヒデアキの服。中古1000円のクオリティのため、1~2週間に1回はどこかが破れ、私が拙い手縫いを施し、ほぼ縫っていないところがない状態。
ウォーターセブン編でのトムさんのような存在、松井さん。
存在感がと懐の深さが半端ない。リアカーを直してくれている際、終始楽しそうに、そして寒いはずなのに「熱くなってきた…!」と上着を脱ぎだすくらい、熱い方。
こちらはONE PIECEのトムさん。
何が感動したかと言うと、働いている方が生き生きしていたこと。自分の仕事に誇りを持っている、というのが背中からひしひしと伝わってきた。
松井さんの背中に「夢工房」とあったが、まさに彼らは夢をつくってくれた。私たちをなんとかして北海道まで送り届けたいという想い。それはこの鳥取のウォーターセブンこと松井本舗に限った話でなく、そんなたくさんの人の想いが、このリアカーには乗っている。私たちは、2人だけで歩いているんじゃない。
(そして実はこのリアカー、北海道まで行ったらある夢を背負った男に託す予定なのだが・・・これはまた別の機会に。)
そして松井の左隣の女性は、私たちを泊めてくださった「紅糸」というお店を営むちえこさんと、その隣が娘さん。
ここにあった着物リメイクの作品は、服から雑貨まで、今まで私が見てきたどの作品より郡を抜いてかっこよかった。
「縫うものならなんでも直すわよ」
そう行ってくれたちえこさんが、朝早く起きてヒデアキの和服とのぼりを直してくれ、さらに新しい和服までいただいた。普段しょっちゅうWOOFOOなどでたくさんの人を泊めているおうちでもあるので、鳥取に行ったらぜひ寄って、彼女の人柄に触れて欲しい。
今日もまた、私たちは歩く。
みのり
【浦安より鳥取市内方面へ】
今日はアロハホール近くで泊めていただいております。11日は白兎海岸の手前あたりまで、12日に市内にイン、13or14日の天気の良い方で砂丘へ。
その後の鳥取市以降は宿が未定なので、ご縁のある方は、ぜひお会いできたら嬉しいです。
婚前道中膝栗毛
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勝手にクラウドファウンディング、やってます。
誰もが、日々のなかで、瞬間で、実験で、化学反応をおこしていて。 何が起きるかわからない、流れの中にある
雨の中、国道9号線をあるいてみるのは、不思議な感覚で。
車で移動するスピード感と、歩いて移動する時間のあり方というか使い方が
ああ、こんなにちがうのだなあと思った。
車のなかった時代、みんな歩いていた。歩いて移動する時間的感覚のなかで1日があって。
日々の暮らしがあったのだなあと。
その時代の1日の時間の流れ、濃さは、本当に今と昔では違うのだよね。。。
旅にかぎらず、おふたりに限らず、
派手なことでなくても、地味なことでもなく、
誰に知られなくても、自分の中のことであっても。
誰もが、日々のなかで、瞬間で、実験で、化学反応をおこしていて。
何が起きるかわからない、流れの中にあるってことを、
毎日、毎日、再確認しながらいるのだと思います。
その人だけの、ストーリー、生き方、動きかたがあって、
その人にしかできない、生きるストーリーでもあり、生きるアートでもあり。
感情、感覚をもっている地球人だからこそ、
どう楽しむか、どう感じるのか、どう、とらえるのか、どうしてみるのか、は、
ほんと其々が、自由なのです。本当の意味での自由に気づいているからこそ
今、こんなふうに、楽しめているのだと思います。
今、生きていることが奇跡なんだなあって思いながら。
この地球の動きを、地球にいることを、感じて、楽しんで流れてみよう。。
っていうヒトがどんどん、増えてくるのかなっておもう。
自分にしかできない、あなたにしかできない、
組み合わせ、実験、化学反応を。
ストーリーを、生きるというアートを。
地球人ライフを
楽しんで、全うしてみようよ。。。。
いのちは、死なない。水を見てみたら、いのちのあり方が見えた。
小雨の中を歩いていた。顔に薄く雨がかかり、通り過ぎようとしている橋の下で川が激しく流れ落ちていて、まるでひとつの生き物のようだった。今この顔に降り掛かる雨も、どんどんと流れていく濁流も、同じひとつの「水」なのだなぁと思ったとき、ふとひとつの疑問が浮かんだ。
水は、死なないのだろうか。
降った雨は地に注ぎ、川を流れ海に還り、蒸発して雲となりまた雨として注ぐ。それをずうっと繰り返している、そんなの誰でも知っている。
ということは、水は死なないのではないかと思ったのだ。水こそ不老不死なのではなかろうかと。
そこで想像してみる。
今降った雨と未来に降る雨は同一ではないし、海だって同じ水であったことは一度とないだろう。同じ空も存在しない。ということは、水そのものは変化するが(実際水が水蒸気になる時点で形としては別物になっている)、それを構成する分子だとか量子だとかその組み合わせやつながりが変わるだけで、その一番小さな粒自体は変わらないのかもしれない。
そうすると、私たちの死もまた同じことが言えるのだろう。「人」としては死ぬ。しかしそれらは分解されて地に還り、別のつながり方をして別の形になる。別のいのちとなる。
それを想像すると、いのちそのものはすべてつながっていて、ある意味1つの大きな粘度をこねくり回して色んな形をその瞬間瞬間で象ってはまた消える、それこそアートのようなものなのだろう。
そう思うとひとつ=すべてのいのちが今この瞬間全霊で表現する何かを、全身で感じたくて意識する世界がぐわっと広がった。この感覚が私は好きでたまらない。
私は、いのちと私自身がのぞんだ、いのちである。
みのり
P.S.
今欲しいもの。
・二胡ケースを肩掛けできる紐
・ごま油
・米子から鳥取までの9号線沿いで、泊めてもらえるお家
・お米
勝手にクラウドファウンディング、やってます。
旅を通して手放したもの、必要と感じた物5つ。常識を疑うには非常識を試すだけでいい。
婚前道中膝栗毛、鹿児島から歩き始めてトータル3ヶ月弱。鹿児島→熊本→佐賀→福岡→大分→愛媛→山口→広島→岡山→島根と来て、今鳥取の直前にいる。1000キロ以上歩いた計算になる。自分たちでもびっくりだ。
女性、としての視点も踏まえ、旅をしてみて「これは生きていくのにいらない」「これは常識とされてるけど私には違う」「これはこんなに大切だったんだ」と気付くことがいくつもあった。それをまとめてみようと思う。
さて、どちらがどちらの足でしょう。
- 卒シャンプー
「シャンプーはカラダに悪い」はもう割と普通に言われるようになってきた。まぁ使うのも使わないのもどちらでもいいのだが、「子どもを産む前はシャンプーなしでいってみたいな」というのが私が前々から思っていたことだ。
しかしなかなか踏ん切りがつかない。ところが先日広島でイベントをした際に私の尊敬する友人が湯シャンプーだと聞いてびっくりした。彼女は肌も髪もすごく綺麗なのだ。ネットで湯シャンプーのすすめを何度か見ていたが、直接見るのに勝る動機付けはない。その日からシャンプーを卒業してみた。
実際やってみてまず感じたのは、「自分が思っていた以上にシャンプーが苦痛だった、ということが分かった」ことだ。おかげでシャワーの時間がストレスフリーになった。やってみて初めて見える自分の本音というのもある。何かにチャレンジしてみたい人はそれをやっている人に会って、その勢いでやってみるといいだろう。 - 自分でなんでもやらずに、時には愛を送る
「リアカーはお二人でひくんですか?」
「宿泊場所の確保やルートはどう決めるんですか?」
よくきかれる質問である。これほぼ全てヒデアキに任せている。
別にヒデアキがバリバリそれらを出来るかと言えばそうではない。リアカーをひくのはもちろん男性なので私より体力筋力が勝るから合理的だが、細かい仕事や予約するなんてヒデアキの苦手分野だし、ルートに限って言えば方向音痴なので昨日何て1日で3回も道を間違えていた。でもそれでいい。そして私はヒデアキに愛を送る。
「自分でなんでもやりなさい」私たちはそう教えられてきた。男女平等と言って「同等」を目指してきた。でも平等と同等はあまりに違う、それをはき違えている人があまりに多い。女性が愛を送ることで男性が大きくなることは、私たちが思っている以上にはるかに意味を持っている。 - 欲しいものは欲しいと言う
最近ブログやFacebookの投稿の最後に、「今欲しいもの」を書いてみるようにしている。一種の実験だったのだが、予想以上に需要と供給の一致が生じて、なんだ、もっとみんな欲しいものを開示していけばどんどん生きやすくなるしエコじゃなかと感じた。
3記事目の今現在で、「Mac対応のHDD」「椿油」「つげ櫛」をくださる方がそれぞれ連絡をくださった。これらを自分たちで揃えようとしたら結構お金がかかってしまうだろう。「使わないから使って」「ずっとしまいこんでいるよりみのりさんに使って欲しい」そう言ってもらえてとても嬉しかった。自分でなんとかしようとするのではなく、相互依存の関係で生きていく。保険とかにせっせとつぎ込んで生活費を減らすより、よほど相互扶助の精神だしエコロジカルだと思う。
婚前道中膝栗毛は私たち2人だけでは絶対になし得ない。それをひとつの形で体現していきたいと思っている。 - 肌と肌を触れ合わせる時間を
2. の「愛を送る」とき、なるべくヒデアキに触れるようにしている。リアカーをひいてくれる手に自分の手を重ねたり、頭を撫でたりキスをしたり。女性はとくにそういった行為を好むが、男性にもこの時間は必要なのではないかと思っている。
「ありがとう」「愛してる」──言葉で表すのも大事だが、言葉では伝わらないものを伝える必要があるときも多いと思う。でもきっとそれを、つい私たちはさぼってしまっているのではないかと思う。「今更恥ずかしい」「気色悪い」等と理由をつけて。だから、特に女性には、もっともっと男性に触れてそれを伝えてあげて欲しいと思うのだ。「がんばってるね」「いつもありがとう」、女性に特化した言語を用いるよりも、よほど深いところで伝わるはずである。 - 常識に疑問を抱いているならその逆をやってみる
婚前道中膝栗毛の面白いところは、常識や一般的と言われているものにとことん疑問を投げかけるところだ。「車や電車が普通だけど歩いてみよう」「新婚旅行じゃなく婚前旅行」「電気を自分でつくってみよう」「お金をあまり持たずにスタートしてみよう」「仕事もホームもレスってみよう」・・・ヒデアキにとってのこれが、アートなのである。
普通のことをしていたら当たり前だが得られるものも学ぶもの、気付くこともその範疇を出ない。なにか変わったことを得たいのなら簡単だ、普通と逆のことをやってみればいい。すると案外大したことなくてもまわりが「すごいね」と言ってくれる。例えばこちらからしたら、「毎日歩いてすごいね」と言われるが、「毎日朝早く出社して働くことのほうがすごい!」のだ。
歩いてみることはかなりオススメだが、日頃の小さなことでも逆や裏をやってみると全く違った世界が開ける。せっかく生まれて来たのだから、もっと冒険しようぜ、と言いたい。
日本最古の大社造り、神魂(かもす)神社にて。
みのり
P.S.
今欲しいもの。・二胡ケースを肩掛けできる紐
・ごま油
・松江から鳥取までの海沿いで、泊めてもらえるお家
・お米勝手にクラウドファウンディング、やってます。
幾度も幾度も重ねた先にできるものがある。歩くのはある種藍染めのようなものかもしれない。
出雲市内を桜に見とれつつ歩いていると、藍色の暖簾から声をかけられた。入り口には大きな美しい藍染め。
日本ではもう1つか2つかしかない「筒描き」を行っている藍染め屋、長田染工場。江戸時代から、女性が嫁入りする際は、実家の家紋を描いて染めた風呂敷を嫁ぎ先に持っていくのが習わしだったそうだ。だから家には代々嫁いできてくれた家の家紋が積み重なっていく。素敵だなと感じた。
藍染めをやってみたことはないが、その行程を見てあまりの時間と深さに驚いた。
───長田染工場:作業工程より
時を重ねた分だけ、想いを注いだだけ、出来上がるものはやはり違う。結果だけを表面的に見たら同じかも知れない。私たちの旅で言えば、「鹿児島から北海道へ行くこと」は数時間あればできる。何も1年弱かける必要はない。でもその過程が何より愛おしいし、それこそが人生になる。染め物は、小さなひとつの人生ではないかなと思うのだ。
昨日の記事でヒデアキが、「衝動を選択基準にするのは、結果を求めていないから」と言っていたが、これはとてもむつかしいことだと私は思う。気を抜くといつも目先の結果を追ってしまう。例えば今だって土砂降りになって屋根のあるバス停で雨宿りをしてこうやって記事を書いているわけだが、実際雨は嫌なのだ。でもその雨がなかったら私たちが歩いているこの景色そのものがない訳で。
人生を充実させたいなら、いかに広い視野で長期的に物事を考えられるかではないかと思う。過程を楽しめるのはその視点があるからだ。じゃなきゃ歩くことなんて面倒で仕方がない。
ヒデアキに、アートとは何かと問うてみた。
「アートとは、無目的に自分の中にあるものを表現すること。」
結果や目的を追い求めない。それに囚われた瞬間、それはアートではなくデザインになるのだろう。そう考えると入り口で見た藍染めは、その両方を体現していて面白いなと思った。
みのり
P.S.
今欲しいもの。
・つげ櫛
・二胡ケースを肩掛けできる紐
・お醤油とごま油
・松江から鳥取までの海沿いで、泊めてもらえるお家
勝手にクラウドファウンディング、やってます。
◆連絡先◆
Tel : 090-8453-0535(カヤノヒデアキ)
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カヤノヒデアキという男。「衝動」を人生の選択基準に据える。
ヘッダーを変えてみました。デザインが納得いかないと専ら更新が拙いことになります。
「歩いている最中、どんなことを2人で話すんですか?」
旅のことを話しているとたまに訊かれる質問である。基本的にはヒデアキとは共通の話題が多いのでので(コミュニティや価値観が似ているため)、話すネタには困らない。・・・と言いたいのだが、1日ほぼ24時間一緒にいるとどんなに共通の話題が多かろうと、尽きてしまうものである。ちなみにそれに尽きると私は暇すぎて歌いだし、歌いたい歌も尽きる頃には飽きてしまって若干機嫌が悪くなっているのだが。
だがその暇さが幸いして、時々今まで知らなかったヒデアキの一面を知ることがある。今日も暇すぎて血眼で探した話題から、ヒデアキの今まで言語化されていなかった部分を会話で言語化することに成功した。
「ヒデアキの人生における選択基準って、何?」
「んー、『衝動』と『直感』と『みーちゃんの具合』と『幸せになる人が多い方』だね」
「ヒデアキにとっての『衝動』と『直感』の違いは?」
「『衝動』はやりたいかどうかと言うより、やらなかったら後悔する、自分の中に溜まっちゃうって感じ。『直感』は選択肢があって、こってのほうがいいなぁって選ぶ感じ。」
「てことは、『直感』は経験則とも言えるよね。過去の自分の経験から、こっちがよさそうだって選んでる。」
「うーん、じゃあいわゆる直感が俺にとっての『衝動』なのかもしれない。」
「なんで『衝動』を選択基準に据えるの? 普通はすべて経験則から選ぶでしょ。だってそのほうが確率的に信頼できる。過去こうやったら成功したからそうしよう、とか。」
「結果を求めてないからじゃないかなぁ。結果を求めるなら経験則から選んでもいいけど、そうじゃないから。あー、でもそれも経験則かな。今まで『衝動』で選んできて、結果いい風になったから、それを選択基準にしてる。」
「例えば?」
「んー、例えば漁師をやめなかったら、シェアハウスに住まなかったしこの旅もなかった。あと友達にお金をあげたくなっちゃったことが何度かあったけど、なぜかすぐ同じくらい返ってくるとか。」
「そっかぁ・・・。ちなみに『みーちゃんの具合』って?」
「例えばみーちゃんのお腹具合。俺はまだお腹空いてないけど、みーちゃん空腹になると機嫌悪くなるし燃費悪いから、そろそろ何か食べようか、とか。」
「ああ、それはとってもありがたいです。」
この会話文だけ見てるとなんだかヒデアキがちょっと知的に見えるかもしれないが、これを引き出すのに相当な時間がかかったのをここに書いておく。
まぁそんなことは重要じゃなく、私にとってヒデアキのまだ見ぬ部分を発掘し、それを言語化するのがとてつもなく楽しいことで、楽しすぎて会話の途中一人で笑い出してしまったくらいに楽しいことだと言うことのほうが、ずっとずっと大切だ。
明日は出雲市から松江に向かいます。9号線沿いを行くので、見かけたらぜひお声がけください。桜、綺麗だったなぁ。
みのり
P.S.
今欲しいもの。
・つげ櫛
・素敵な椿油
・二胡ケースを肩掛けできる紐
・お醤油とごま油
・Mac対応HDD 500GB以上
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